色々考えるけれども…
世の中が異常だからこそ、平常心でいなくては…と誰もが考えているけれども、
しかし、自分ばかりが平常心でいるような感覚にもなり、
むしろ平常心でいるのが悪いことのような感覚にもなり、
メール一つ打つにも気を遣ってならない。
大丈夫でしたか?とか大丈夫ですか?と言うメールを打つにも
なんだかどのタイミングで、どう送っていいのかわからず、
結局送らないままになったりする。
そんな中で、イベントの告知メールとか、チケット予約のメールが入るとなんだか安心する。
別にイベントをするからとかチケット売れたからとか、そういうレベルの話ではなく、
もっと基本的な、「あー、普通のメールができる」という安心感。
芝居の公演の是非について考えている。
ほぼずっとそのことについて考えている。
昨日は朝から8時間稽古だったが、
稽古中も役者やお手伝いの方とその話を当然する。
僕の周りにも、「延期すべき」という声がちらほら出始めている。
近親者が被災している方から言われると、本当にいたたまれない気持ちになる。
だいたい演劇ってなんだろう?アートってなんだろう?ってことまで考える。
僕は何のために演劇をしているのだろう、と考える。
正直、答えは出ない。
一つの公演にかかわっている人がどれほど多いか、身に染みて感じる。
もちろん被災された方々のことを考えるのは当然だが、
自分の身の回りの人たち、自分のために動いてくれている人たちの事だってとても大事なのだ。
最終的な決断は全て自分ががしなければならないのはわかっているけど、
どちらにせよ辛い決断になるだろう。
そして、それなりの覚悟を決めなくてはならない。
しかし、自分ばかりが平常心でいるような感覚にもなり、
むしろ平常心でいるのが悪いことのような感覚にもなり、
メール一つ打つにも気を遣ってならない。
大丈夫でしたか?とか大丈夫ですか?と言うメールを打つにも
なんだかどのタイミングで、どう送っていいのかわからず、
結局送らないままになったりする。
そんな中で、イベントの告知メールとか、チケット予約のメールが入るとなんだか安心する。
別にイベントをするからとかチケット売れたからとか、そういうレベルの話ではなく、
もっと基本的な、「あー、普通のメールができる」という安心感。
芝居の公演の是非について考えている。
ほぼずっとそのことについて考えている。
昨日は朝から8時間稽古だったが、
稽古中も役者やお手伝いの方とその話を当然する。
僕の周りにも、「延期すべき」という声がちらほら出始めている。
近親者が被災している方から言われると、本当にいたたまれない気持ちになる。
だいたい演劇ってなんだろう?アートってなんだろう?ってことまで考える。
僕は何のために演劇をしているのだろう、と考える。
正直、答えは出ない。
一つの公演にかかわっている人がどれほど多いか、身に染みて感じる。
もちろん被災された方々のことを考えるのは当然だが、
自分の身の回りの人たち、自分のために動いてくれている人たちの事だってとても大事なのだ。
最終的な決断は全て自分ががしなければならないのはわかっているけど、
どちらにせよ辛い決断になるだろう。
そして、それなりの覚悟を決めなくてはならない。
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